本間先生へ
2016年 02月 23日
2016年2月16日
大学時代の恩師でもあり、元東京都交響楽団首席オーボエ、また、バロックオーボエの第一人者でもありました本間正史先生が逝去されました。
先生の思い出を語ったらキリがないくらい、先生の笑顔しか思い浮かびません。
先生との最初の出会いは、私が大学1年の時。当初師事する予定だった先生がご病気になり、バトンタッチで受け持っていただいたのが先生でした。
当初、私は、楽器がマリゴでリードはショートを吹いていましたが、先生は何の偏見も持たず、「音楽が出来るなら何でもいいよ!」 と迎えて下さったのが、偏見を持つ先生が多かった中、とても印象的でした。
その後、先生の音に触れ、ロングがいいなぁ、と思い、自分の意思でスタイルを変えました。
この事は、今の自分のティーチングの姿勢でもあります。なので、生徒に選択肢を与えて、スタイルを選ばせています。
先生のリードメーキングは、全てハンドシェイプで、これまた非常に難しい。
ケーンの厚みもヤスリで削って自分サイズを作る。 卒業後数年はやってましたが、今は妥協してシェーパー使ってます、、、。
私が学生時代は、先生は現役バリバリだったので非常に多忙で、レッスンも月に2回出来るかどうか、くらいでしたが、逆に先生の時間がある時は、自宅へ何度も行きレッスンを受講しました。
時々、レッスン後に飲みに連れて行っていただき、ある時は、ショットバーに行き、ラム酒ストレートを飲め!と、ベロンベロンに酔っ払った先生に言われた事もありました。
先生の自宅と近所に住んでいた時があり、自宅へ送っていただいた事も何度かありました。
生徒想いのいい先生でした。
所沢の航空公園にあるホール「ミューズ」の杮落とし公演で、大学オケが演奏する事になり、そこで、先生の隣で演奏させていただき、オケのイロハを肌で感じ、色々勉強させていただいた事もありました。
大学卒業後も、オーボエを続けたい意思があったので、数年間は個人レッスンに通い、沢山の事を勉強させていただきました。
その後、やはり学校で勉強したいと思い、若尾先生の門を叩き、留学しましたが、その時の推薦状も快く書いてくださいました。
帰国する度に先生宅へお邪魔して、演奏を聴いていただき「うまくなったね!」 とお褒めの言葉をいただく事もありました。
4年間の留学を終え、完全帰国した後も、何度か通いましたが、「もうレッスンする必要ないよ。」 と、どう言う意味だったのか、本心はわかりませんが、それをキッカケに自分自身も忙しくなり、先生宅へ伺う頻度がメッキリ減ってしまいました。
先生が都響退団時、また色々な話が出来ればと思い、今自分が使っているガウジングで取ったケーンとリードをお送りしました。
お返事があり、「今俺はこれを使ってるんだ〜! 良かったら見においで」とお誘いいただき、ちょうどイタリア旅行から帰ったばかりでしたので、バローロ🍷をお土産に伺いました。
「おーバローロじゃん!」 と喜んでいただいた、あの笑顔は今でも思い浮かびます。
マシーンの使い方などひと通り見せていただき、やっぱり先生は、今自分がハマっている事を、子供の様に(と言ったら失礼かな、、)話してくださり、
この絵は、「オーボエのこの部分が一番カッコいいだろ?!」 と、さすが先生、目の付け所が違いますね! と言ったら、「だろ?!」
くしゃくしゃの笑顔で言っていたのが思い浮かびます。
「時々情報交換しような!」
と言ったのが最後にお目にかかった時でした。
その時、先生が使っていたマシーンを私も購入して、刃の具合が微妙になってきたので、先生はどうされているか年賀状に書き、お会いしてお聞きしようと思っていた矢先の出来事でした。
タイミングが悪すぎです。
まだ聞きたい事が沢山ありました。
「バッハ、モーツァルト等の時代は、今のようなモダンオーボエな訳ないんだから」、と仰っており、モダンもクラシカルオーボエも両方演奏されておりました。
「バロックばっかやって、モダンはダメだ、と言われないようにしないとね」
と仰っておりましたが、両方素晴らしい演奏家でした。
モダンオーボエの基礎がしっかり出来てきた今になって、バロック音楽をバロック時代の楽器で吹いてみたくなりました。
いつか、バロックからモダンまでの曲を、それらの時代の楽器を使った演奏会が出来たらいいな!
先生の様に、バロックもモダンもしっかりと手を抜かず。
本間先生のご冥福を心よりお祈りします。
大学時代の恩師でもあり、元東京都交響楽団首席オーボエ、また、バロックオーボエの第一人者でもありました本間正史先生が逝去されました。
先生の思い出を語ったらキリがないくらい、先生の笑顔しか思い浮かびません。
先生との最初の出会いは、私が大学1年の時。当初師事する予定だった先生がご病気になり、バトンタッチで受け持っていただいたのが先生でした。
当初、私は、楽器がマリゴでリードはショートを吹いていましたが、先生は何の偏見も持たず、「音楽が出来るなら何でもいいよ!」 と迎えて下さったのが、偏見を持つ先生が多かった中、とても印象的でした。
その後、先生の音に触れ、ロングがいいなぁ、と思い、自分の意思でスタイルを変えました。
この事は、今の自分のティーチングの姿勢でもあります。なので、生徒に選択肢を与えて、スタイルを選ばせています。
先生のリードメーキングは、全てハンドシェイプで、これまた非常に難しい。
ケーンの厚みもヤスリで削って自分サイズを作る。 卒業後数年はやってましたが、今は妥協してシェーパー使ってます、、、。
私が学生時代は、先生は現役バリバリだったので非常に多忙で、レッスンも月に2回出来るかどうか、くらいでしたが、逆に先生の時間がある時は、自宅へ何度も行きレッスンを受講しました。
時々、レッスン後に飲みに連れて行っていただき、ある時は、ショットバーに行き、ラム酒ストレートを飲め!と、ベロンベロンに酔っ払った先生に言われた事もありました。
先生の自宅と近所に住んでいた時があり、自宅へ送っていただいた事も何度かありました。
生徒想いのいい先生でした。
所沢の航空公園にあるホール「ミューズ」の杮落とし公演で、大学オケが演奏する事になり、そこで、先生の隣で演奏させていただき、オケのイロハを肌で感じ、色々勉強させていただいた事もありました。
大学卒業後も、オーボエを続けたい意思があったので、数年間は個人レッスンに通い、沢山の事を勉強させていただきました。
その後、やはり学校で勉強したいと思い、若尾先生の門を叩き、留学しましたが、その時の推薦状も快く書いてくださいました。
帰国する度に先生宅へお邪魔して、演奏を聴いていただき「うまくなったね!」 とお褒めの言葉をいただく事もありました。
4年間の留学を終え、完全帰国した後も、何度か通いましたが、「もうレッスンする必要ないよ。」 と、どう言う意味だったのか、本心はわかりませんが、それをキッカケに自分自身も忙しくなり、先生宅へ伺う頻度がメッキリ減ってしまいました。
先生が都響退団時、また色々な話が出来ればと思い、今自分が使っているガウジングで取ったケーンとリードをお送りしました。
お返事があり、「今俺はこれを使ってるんだ〜! 良かったら見においで」とお誘いいただき、ちょうどイタリア旅行から帰ったばかりでしたので、バローロ🍷をお土産に伺いました。
「おーバローロじゃん!」 と喜んでいただいた、あの笑顔は今でも思い浮かびます。
マシーンの使い方などひと通り見せていただき、やっぱり先生は、今自分がハマっている事を、子供の様に(と言ったら失礼かな、、)話してくださり、
この絵は、「オーボエのこの部分が一番カッコいいだろ?!」 と、さすが先生、目の付け所が違いますね! と言ったら、「だろ?!」
くしゃくしゃの笑顔で言っていたのが思い浮かびます。
「時々情報交換しような!」
と言ったのが最後にお目にかかった時でした。
その時、先生が使っていたマシーンを私も購入して、刃の具合が微妙になってきたので、先生はどうされているか年賀状に書き、お会いしてお聞きしようと思っていた矢先の出来事でした。
タイミングが悪すぎです。
まだ聞きたい事が沢山ありました。
「バッハ、モーツァルト等の時代は、今のようなモダンオーボエな訳ないんだから」、と仰っており、モダンもクラシカルオーボエも両方演奏されておりました。
「バロックばっかやって、モダンはダメだ、と言われないようにしないとね」
と仰っておりましたが、両方素晴らしい演奏家でした。
モダンオーボエの基礎がしっかり出来てきた今になって、バロック音楽をバロック時代の楽器で吹いてみたくなりました。
いつか、バロックからモダンまでの曲を、それらの時代の楽器を使った演奏会が出来たらいいな!
先生の様に、バロックもモダンもしっかりと手を抜かず。
本間先生のご冥福を心よりお祈りします。
by obyukobos
| 2016-02-23 13:00